フラを覆るときの歌にはそれぞれその歌が作られたときの背景があって
詩に書かれていない表面には出ていない思いが隠されていたるする。
それはその時の気持ちはその人にしかわからないことで、私たちはそのときを想像してして
僭越ながら「こうだったかも、あんな気持ちだったかも」と思いを馳せる。
そしてその歌の思いを身体で、表情で表現する。
特に日本人は感情表現が上手にできないひとが多く、また日常激しく感情をあらわにしないことが良しとされてきた。感情、とくに喜びや楽しさ、また恋しさや切なさを表すのは難しい。
難しいというより照れくさいと言った方がいいかも。
その歌詞の世界に身を置いて物語の主人公になって踊れたらどんなにいいだろうかと
いつも思わずにはいられない。
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